あゝ 祖国よ恋人よ
上原良司 中島博昭編
「きけ わだつみのこえ」にも掲載された、上原良司の遺書、書簡から始まり、先陣手帳、メモ等を、収録したものである。しかしながら、中島による解説や対談は、ちょっとおかしい。ちょっとおかしいと感じる私がとてもおかしいのかもしれない。是非この本を読んで感想を聞かせてほしい。
本書は、「きけ わだつみのこえ」にも掲載された、上原良司の遺書、書簡から始まり、先陣手帳、メモ等を、収録したものである。当時、特攻隊員として死んでいった上原の目から見た日本の様子、上原の考え方、感じ方がとてもよく伝わってくる。
後半は、編者の中島博昭の「上原良司とその時代」という解説と、良司と親交のあった神村みえこと中島の対談になっている。
私はこの後半に疑問投げかけるのだ。
以下、書簡からの抜粋を読んでもらいたい。
「思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場、これはあるいは自由主義者と言われるかも知れませんが、自由の勝利は明白な事だと思います。人間の本性たる自由を滅すことは絶対に出来なく、例えそれが抑えられているがごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つということは、彼のイタリヤのクローチェも云っているごとく真理であると思います。権力主義、全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れることは明白な事実です。」
簡単にまとめれば、「自由主義者と権力主義者が闘えば、自由主義の国家の勝利は明白だ。」ということになる。自由主義者として参加する戦争はよくて、権力主義、全体主義国家のする戦争は、負けるから良くない。決して戦争そのものを批判や反対しているのではない。権力主義、全体主義に対する反発は、館林教育隊での影響が大きいのだろう。
「愛する祖国をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。真に日本を愛する者をして、立たしめたなら日本は現在のごとき状態にあるいは、追い込まれなかったと思います。世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。」
世界中に軍隊送り、植民地をつくり、植民地からの搾取で本国が潤う。ちなみに現在の大英博物館は、世界中から集めた(奪い取った)宝の山である。その大英帝国のように日本をしたいというのである。帝国主義と言えるかもしれない。
だから私は、上原が、自由主義、反権力主義、反全体主義ではあるが、反軍国主義、戦争反対ではありえないと感じるのである。
後半の部分から、気になった部分を抜粋する。
「上原良司とその時代」中島博昭
「軍国主義によって人間ではなくされた人間が、ひたすら人間としての願いや愛情をつつましく、控えめに述べる。その迫力の強さが軍国主義への激しい糾弾となっている。」
「対談上原良司さんとわたし」神村みえ子
「戦後あの人の遺書を読み、ひそかに戦争を憎んでいたことを知りました。」
「良司さんに教えられて・・・戦争反対を叫ばねばならないと心に誓いました。」
違うだろう。と声を大にして言いたい。
ご指摘の点はきずきませんでした。私は、靖国で会おうと言う文言を、教導にあたる先任下士官たちがくどくくどく強要する所ばかりが気になりました。僕は靖国へは行かない、天国へ行くと言い切っている所では、絶対に検閲は通らないだろうし、ご指摘の文言があったから、何とか検閲を通過したのではないか。その辺の上原良司のトリックに検閲官はひっかかったのではなかろうか、とこれは私の勝手な解釈でした。
投稿: 仲村あきら | 2006年11月18日 (土) 10:17
続きです。上原のこのような異質な遺書が、初版聞けわだつみの声に掲載できた、遺族の元に届いたについては、ご指摘の文言が、検閲を意識して、書かれたのではないかと、私は受け止めました。平和をまともに主張したら、それだけでリンチに会い、殺害される時代でした。あのようにイギリスに言い換えて、カムフラージュしないと、本当の気持が家族へ届けられないので、ああいう表現となったのでしょう。いま、靖国で逢おうという虚構を広く訴えたいと考えて、上原良司に啓発されているところです。よろしくお願いします。
投稿: 仲村あきら | 2006年11月18日 (土) 10:29
靖国で会おうと言う神話はでっち上げだった
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/miyasitama2000/42098627.html
上原良司が残してくれた事実から、教導を担当した先任下士官たちが、学徒隊員たちに、靖国を強要する状況が書き残されたのです。
投稿: 仲村あきら | 2006年11月18日 (土) 10:54