鶴を折って平和な気分
鶴を折って平和を祈れば、どうなる。どうやら、平和な気分に浸れるらしい。その平和の気分に浸った人達の集まりの中に、自分が参加することにより、より大きな平和な気分に浸れることがあるようだ。
そうか、この人達は「世界を平和にしたいのではなく」、自分達が平和な気分に浸りたいだけなのだ。
ここまで言うといいすぎだろうか。世界を平和にしたいとは思っているが、具体的な方策をいちいち考えるのが面倒くさいので、大きな問題はひとまずおいといて、手っ取り早い「平和な気分に浸る」ということを選択したのだろう。一種の逃避だと思う。しかしながら、やってる本人達は、逃避だと気づいていないところがかわいそうだ。
平和な気分の人数が増えれば、世の中の国際間のトラブルの解決手段である、戦争、テロ、拉致、領土侵害・・は減るのであろうか。もし、そうであれば、ばかにしたものではない。
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